よく行く近所のローソンに、猫が住み着いているようだ。 どうも心あるお客さんから少しずつ食料をもらっているらしく、決してガリガリというわけではない。 自分もたまに余分にパンなどを買ってあげている。 じっとこちらを見つめているところで、エサをおいて少し離れているとササッと奪って逃げる。 ・・・”こっちにおいで”と言ってやりたい気持ちでいっぱいなのだが、いつもそこでこう思いなおす。 ”それでいいよ、人なんか信用しなくていい”
・・・すごく哀しい気持ちである。 世の中には優しい心を持った人がたくさんいることは知っている。 多くの人は何が正しくて、また、何が間違っているか理解していると思う。 だが、昨今のNEWSなどで見る世界は明らかに狂っている。 でも、その人たちもおそらくは先のことは理解しているはずだ。 人は自分を守るため、エゴを主張正当化するために攻撃的になる・・・
”すべてを愛せる透明な心”胸の中に宿したいものである。 しかし、Foolishの楽曲でも書いたが、その心を持って生きることは時として自己犠牲を伴うことがある。
今まで何度となく、捨てられた猫を拾ったり、缶詰を買ってきて与えたりしてきたが、 それは決して自分自身、エゴとか偽善ではないことは実感している。 ただ、同じ命を持って生まれてきて、一度も優しさに触れることなく死んでいくことは、胸が痛すぎるだけ・・・ 一時でもいいから優しさを知ってほしい。 そう願うのはエゴでしょうか・・・
白黒のニャンコよ、食料を奪い取ってたくましく生きれるなら、強く生きてくれ。 ただ、その一生で”優しさ”ちゃんと感じていってくれよ。
ここ数週間、姿を見せなかったのですごく心配していたのだが、 昨日、ひょっこりと顔を見せた。 しかもそっくりな顔をした奴がもう一匹。 おまえ、兄弟いたのか!ひとりぼっちじゃなかったんだな。 ちょっとほっとした夜でした。
TAKU
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2003年10月23日(木)
No.13
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